私は親に褒められた経験がほとんど無い。
私達の親の世代は「褒めて伸ばす」という概念・思想がそもそも無い世代だったであろうから、そこに期待しても仕方がなかった。
しかし私が幼少期に親に望んでいたのは、
「もっとかまって欲しい」
「もっと注意して見て欲しい」
「もっと褒めて欲しい」
という想いだった。
私の親は家業が忙しく子供の相手をする時間はあまり無かった。
それは当時の時代背景もあっただろう。
高度成長期から昭和50年代は我が家の家業は忙しい毎日だった。
その時代はどこの親も仕事が忙しく会社員も残業が多く、専業主婦も家事に追われていた時代だったろう。
そんな子供時代を過ごし、褒められる体験がほとんど無かった私にとって、
忘れられない経験がある。
1975年、私は小学1年生、その日は親の都合で自宅に帰れなかったため、
学校帰りに、おばあちゃんの家に寄らせてもらうよう親が事前に手配していた。
私は親の言いつけ通り父方の本家である、おばあちゃんの家を目指して一人向かった。
当時、おばあちゃんの家に父の車に乗って遊びに行ったり、
その周辺の公園や団地で友達と遊ぶことが多かった私にとって、
おばあちゃんの家までの道順はすでに頭に入っていたため、学校が終わるとすぐにその家を目指して見慣れた道を歩き、迷うことなく目的地へ着いた。
おばあちゃんの家に着いた私は、母屋ではなく離れた建物の土間で水仕事をしているおばあちゃんが見えたので、離れの土間に入っていった。
いつもの「割烹着」と「もんぺ」姿のおばあちゃんは私が到着すると、ランドセルを背負った6歳の私が道に迷わず1人で到着できたことを大げさに褒めてくれた。
当の本人は自分ではさほど褒められるような事をしたつもりが無かったため、
その褒め方にあっけに取られるくらい、おばあちゃんは褒めてくれた。
「よく一人で来れたね~!」
「えらいね~!」
一年生の孫が1人で訪ねてきたことが嬉しかったのかも知れないが。
成長するにつれ、その事をいつも覚えていた訳ではなく、
どちらかと言うと忘れていたかも知れない。
しかしその時の出来事は、はっきり思い起こせる。
私は今世の自分を振り返った時、褒められる体験が少なかったこと、
そして「褒められたい」という想いがいつも自分の中にあったのだと気づいた。
子供の頃から勉強が出来なかったため、親や学校の先生に褒められた事がほとんど無かった私の数少ない「褒められる体験」の一つであるこの体験は、貴重なものとして記憶に残っている。
その後、私がおばあちゃんの家に行くたびにおばあちゃんは、その日の話を繰り返して褒めてくれた。
「あの時はよく一人で来れたね~、えらかったね~」といって何度も驚いて見せた。
今思えば、私が親に対して欲していた愛情をおばあちゃんが注いでくれていたのだと思う。
小学生の頃は何故それ程までに毎回も褒めてくれるのか、どちらかというと
「なんで何度も同じ話をするのかなあ・・・」
「そんなに褒められるような事をした訳ではないのに・・・。」と、
子供の私にはその真意はわからなかった。
しかし、あれから五十年が経過し、私はその真意を理解する。
繰り返し私にそれを伝え続けたおばあちゃんは、私に必要な癒しの種を植え付けてくれていた。
誰にも褒められないままに人生が終わることの無いように。
自分を褒めて良いんだという事にも気づけるように。
認めてほしい思いが私の中にあって、それを知っていたかのように。
「褒められる体験」をいつしか思い出し、意味を感じられるように。
褒められないまま大人になる事が今世の私の課題の一つだった。
そのような体験が出来る親と環境を選び、それは現実となった。
そう思っていた。私は褒められないままに大人になったのだと。
しかし気が付けばそうではなかった。
おばあちゃんが何度も私を大げさに褒めてみせた姿が私の記憶に焼き付いている。
それは今、私の大事な宝物となった。
感謝の思いと共に。
