幼い頃の期待
幼いころの私は両親が大好きでした。自営業を営む家庭に生まれ10歳まではお店の裏が住まいでしたから、家に帰るといつも両親が居る生活でした。お店はとてもあたたかい空気に包まれ、お客さんに笑顔で接客する両親を見て育ち、自分も大きくなったら自営業をやりたいと思っていました。
お店の掃除を手伝ったり母親が仕事をする姿を横で見ているのが大好きでした。父親のタバコや競馬新聞を買うためにお使いに行くことや、両親を手伝うことが好きでした。まるで自分もお店の仕事を一緒にしているかのように感じていました。私の世話好きな性格は生まれながらのものだったのだとこれを書いていて痛感します。
今思うと当時私の中には家族の理想像があったように思います。家族というものはいつでも優しさやあたたかさに包まれ、子供はそれをいつでも確かめられ守られて安全に育っていく。そんな理想を幼いころから持っていたのだと思います。

一人が好きな子供時代
両親からの優しさやあたたかさを常に感じていたいという私の期待に反して、親は仕事が忙しく子供と触れ合う時間はあまり取れない。母は口より先に手が出るような厳しいタイプでもあり、父も普段は仕事に没頭しなければならず、私が期待していた『幸せであたたかな理想の家族像』とはほど遠い家庭環境でした。
自営業が忙しいため放任主義の両親と、そもそも持って生まれた私の天性もあり、私は一人で居るのが好きな子供でした。親戚からも「おとなしくて女の子みたい」と言われたりして自分の世界に閉じこもりがちになり、人の目を見ることができない恥ずかしがり屋。上手に話もできず人に気持ちを伝える方法がわからない内向的な子供でした。そのような性格を身につけた私は親から見たら扱いづらい子供でもあったでしょう。
一人で居ることが好きな反面、幼稚園の頃は友達と遊ぶ時間も多く自分らしく生きていたと思います。友達と一緒に暗くなるまで遊んでいる時、時間の流れを感じないほどにその瞬間を生きていました。当時はメンコにコマや銀玉鉄砲、近所の酒屋の倉庫に忍び込んで酒瓶の蓋を集めたり・・・。子供は遊びの天才。この頃の自分が最も創造的だったと思います。

小中学校時代
小学校に入り勉強には全く関心が向かず落ちこぼれていました。居残り勉強をさせられることが多かったのですが、ただ居残っていただけで勉強はできるようにはなりませんでした。先生も大変だったと思いますが、私にはただ辛い時間をやり過ごすだけでした。
でもそんな居残りの時間も終わり近くになり外もすっかり暗くなってくる頃、担任の先生が特別にお菓子を配ってくれました。居残っている皆は教室でお菓子を食べるというその特別な体験と先生の優しさに触れ皆笑顔になりました。そのひと時のあたたかい空気感と一体感に私は幸せと愛を感じました。その一瞬の体験は忘れられない想い出となっています。
友達と比べて自分には得意なものが無く、このまま内向的な自分で生きていけるのだろうかと漠然とした不安を覚えたこともありました。しかし授業中は先生の話は耳に届かず、外を眺めていたり何も考えていなかったように思います。今から思うと自分の意識はそこに無くどこかに浮いているような感覚で不思議な時間でした。
そんな自分でも評価できる事として、5,6年生の頃には何気なく書いた作文が給食の時間に校内放送で読み上げる作品として選定された事が何度かありました。担任の先生に呼ばれ何に怒られるのかと思いきや、私の作文を渡され「読んで来い」と急に告げられ、自分でも驚く出来事でした。
また体育や図工は好きな科目でした。図工の時間には絵を書くことも、物を作ることも楽しく取り組んでいました。5年生の時には校内の絵画コンテストで銀賞を受賞しました。これにも驚きましたが、この絵を描いているときの集中して没頭した感覚と、筆を進める上でもこれまでに無いくらい自分が思った通りに描けているという感覚があったのを覚えています。
小中学校時代は学校や世間が求めるいわゆる成績の良い子がよしとされる中で、勉強ができないことは悪いことで『できるだけ良い学校を卒業するために励む』という共通意識の中で生きることに、生きづらさを感じていました。自分は何かできる訳ではないけれど、どこかおかしい感覚も感じていたと思います。

音楽との出会い
音楽に夢中になりギターを始めたのは14歳でした。ギターに触れている時は全てから解放され本当の自分を生きていると感じるほどに没頭していました。中高生時代にはバンドの仲間ができ音楽を通して得た仲間達との時間を、本当の自分を生きている感覚で過ごしました。
勉強が出来なかった自分や女の子みたいにおとなしい自分は本当の自分ではなく、音楽と出会ったことで『自分を表現する』という自由を初めて体験することができました。

高校時代にバンド仲間が居る隣の高校へ放課後出かけて行き、その高校のブラスバンド部と軽音楽部へ出入りしていました。私はその高校の生徒では無いにも関わらず、下級生からは先輩と思われ部員の皆さんと仲良くさせてもらっていました。そこは自分の学校よりも充実して楽しい時間を過ごせる場所でした。時よりこのような異端な経験が私には幾つかありました。
高校卒業後は無謀ではありながらも自分の感情には逆らえず、音楽を仕事にしたい思いで実家を出ました。父からは安定した仕事に就いた方が良いという心配から反対されましたが、自分なりに活動し不器用ながらも音楽活動を続けました。生活は常に厳しい日々でしたが、音楽の仕事を経験したりギター講師をしたり音楽に携わりながら充実した20代を過ごしました。
音楽を聴くとき新しいアーティストを見ただけで、聴く前に良し悪しがわかる、またどんな音楽かもわかる体験が何度かありました。そして実際に聴いてみると自分の想像と合致していました。多くの方も似たような体験があるのではないでしょうか。それが直感であり説明できないけれど『解る』感覚なのだと思います。
この時代の私は音楽の世界で自分を表現していました。この時期は自分がやりたいことに没頭していました。自分の気持ちに正直に生きる事がどれだけ大事なことか、音楽が第一にある状態で生きた事、音楽に支えられて生きた事は今の自分にとって根幹となり、貴重な経験をした20代だったと思います。
しかし20代後半になった自分は、音楽だけでは生活できない状況からその夢をあきらめ、当時はまだ黎明期だったIT業界に転身することを決意しました。そして出会った会社に縁があり、そこから20年以上勤務することになります。