私の実家は数年前に建て替えを行った。建て替え後の実家を見学しに、一人帰省した時に聞いたオヤジの一言。
それが私にはとても印象に残った。
「コロッケパンが美味いんだよ」
その言葉は私の心に刻み込まれた。
親父にとってはコロッケパンという庶民的な食べ物が最上級に値するんだなぁと。
それは戦後間もない頃に子供時代を過ごし、食べたいものが食べられなかった子供時代の欲求を表すものだった。
そうなんだ、親父の時代はコロッケパンすら満足に食べれなかった時代だったのだね・・・。とそう思った。
そしてその言葉は刻み込まれ、結果として私は実家に帰省する際にコロッケパンを親父への土産として持っていけないか、という思いを抱くまでになった。
そしてある年の帰省の際、その帰省も年に1度あるか無いかの頻度である。
その帰省途中、ターミナル駅のパン屋でコロッケパンがあるか聞いてみた。しかしそのパン屋さんでは扱ってはいなかった。
確かにどのパン屋にもコロッケパンがあるとは限らないし、もしあったとしたらよっぽどラッキーと感じただろう。
そして私は親父に美味しいコロッケパンを土産として持っていくことは、生涯では無いのではと悟った。そうでなければコンビニで購入できるコロッケパンを土産とするしか選択肢がない。それでも良いとも思ってはいたが。
私は親父が食べたいものをこれまでに買ってあげたことがあったか?
そしてそのような行動を通じて親父を喜ばせようとした経験が無い不器用な私にとって、コロッケパンという土産の威力はとても魅力的に感じられたのだ。
いつしかそれを土産に持参して、親父の喜ぶ顔を少しでも良いから見てみたいと、それ以来妄想していたのだった。
だがしかしその思いは実現させるべく行動に結びつく事は無いまま、私の中の想いだけとして終わってしまう事になった。
とある日コンビニで買ったコロッケパンを自分で食べていた。
それを晩酌のあてとしている。これが実に美味いのである。おやじに引けを取らず私はコロッケパンが好きという事になる。
心理学的にもミラーニューロンで共感し、私は(親父のために)コロッケパンを食べて酒を飲んでいる。と、そう思えた。
なぜなら私が帰省する度に、親父は私に無理にでも私が好きなビールを飲ませようとした。
私はそれを拒みたくとも親父の一方的な態度に押され、その欲求を受け入れつつも毛嫌いする事が通例の儀式だった。
そんな親父の態度が気に入らず、子供に飲ませる事で自分が満足するような、その態度を罪に値するとさえ感じていた。
しかし今日、その思いは新たにさせられた。
親父は自分が食べる代わりに私にそれを体験させることで、自分の子供時代の欲求を満たそうとしていたのだ。
それは単純に自分のカルマを子供に転嫁させ自分の欲求を満たしたい。という側面だけで語られることではない。
何故なら、親の責務を果たす上でのアイデンティティーは、その親が生きた子供時代に端を発するものであるからである。
そしてその端(たん)はその親の子供が受けなければならないタスクなのだろう。そのタスクが意味するものは何なのか?
同じ課題を共有してその課題を問いかけ、その課題の意味は何なのか。
それを子の立場、親の立場から見た時にどのような感情が生まれ、
その感情の発する発端は何なのかを探ることがその学びのテーマなのだ。
私の叔父(親父の兄)である人はアルコール依存症で、酒に飲まれる人であった。
私は子供の頃はその人を軽蔑し、家族皆からも邪魔者扱いされていた。
しかし今、私が学ぶ必要があると思う時にその人の存在意義は、当時の私の想いとは違うものとして認識する。
私の家族に酒におぼれていた人が居たのは事実だが、しかし大人になった私も酒によって健康を左右される人生を過ごしている。お酒がもたらす良い側面は人生を豊かにする。それは確かなことだ。
しかし地上での生において酒というものはとかく危険を伴う側面があることも事実だ。そうして私も家族との経験を通じて学びを得ている。
戦後間もない時代に少年だった父は、食生活が豊かではない日々を生き抜いた。
必然的に自分の欲求は忍耐強く抑える術を身につけ、家族を守るために生きる親を全うして来たが、親父にとってのコロッケパンへの想いは、そんな少年時代を映す象徴だったのかも知れない。
私はコロッケパンを食べた時に父のそのような思いを感じた。
自分の子供には好きなものを食べさせて、飲ませてあげたい。
自分は犠牲で良い。
自分は食べられなくても飲めなくても良い。
でも子供たちには好きなものを食べさせ、好きなものを飲ませてあげたい。
その想いがこの食べ物がおいしいと感じさせてくれる源なのだと。
コロッケパンを見る度に、そんな父親を思い起こす。
